トップページ > い草の豆知識 > い草の歴史

い草の歴史


い草の歴史

い草の歴史

天然素材いぐさ

畳は、古事記に「すげ畳しきて」等という文句があるように、二千年位前からあったようですが、その当時は「すげ」「すが」「かや」等を織って畳表としていたようです。

それが、いつ頃からい草を用いるようになったかはっきりしたことは分かりませんが、神功皇后にからむ言い伝えが残っています。この言い伝えは二つあって、一つは神功皇后が三韓征伐の際、現在の岡山県倉敷市庄の松島(当時は島だった)に船をおつけになった時、土地の人がい草で織った畳表を敷いて戴く様献上したという説です。

現在も倉敷市松島には「五座八幡社」が祭ってあります。

他の一つは、皇后が備後の鞆にお着きになった時、広島県沼隈町から献上したという説です。それがもとで今でも天皇ご即位の際は沼隈町千田村から畳表を献上するならわしになっているそうです。

どちらが事実か分かりませんが、いずれにしてもその時代にい草で畳表を編んでいたと考えられます。い草は昔から我が国にあったのか、外国から入ってきたものかはっきりしませんが、これにも二つの説があります。

一つは、呉の国から竹の節を抜いてそれに苗を入れて持って来た、そこから「ござ」という名が生まれたという説です。

他の一つは、大昔から朝廷の御座に用いられたので「御座」が「ござ」になったという説とがあります。

御座八幡社(倉敷市松島)

▲御座八幡社(倉敷市松島)

御座八幡社(倉敷市松島)

▲御座八幡社(倉敷市松島)